難民のミライを引き出す、人にも企業にも寄り添うジョブマッチング - DIVERSITY TIMES - 外国人の"今"を知って好きになる。

難民のミライを引き出す、人にも企業にも寄り添うジョブマッチング

2022.09.27

 

皆さま、こんにちは。DIVERSITY TIMESライターの齊藤です。
難民と企業の双方に寄り添ったジョブマッチングで、日本に避難してきた人々に社会で活躍する道を提案するNPO法人WELgee。
命の危機に瀕している人々に、民間企業だからこそできる支援とはどういったことなのか、そして
そもそも日本にいる「難民」とはどのような状況におかれた人たちなのか。代表の渡部 カンコロンゴ 清花さんにお話を伺ってきました。

 
__本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、そもそも、「難民」とはどういった状況にある人々を指すのでしょうか。

渡部 カンコロンゴ 清花(以下「渡部」):広い意味では「命の危機に瀕して国を出た人」のことで、「難民状態にある」という言い方をしたりします。狭い意味では「どこかの国に難民として認定された人」という意味になります。なので、難民状態にはあるが難民認定はされていない人もいるんですね。

 
__難民認定されている人と、難民状態にあって認定されていない人、日本にはそれぞれどのくらいいるのでしょうか。

渡部:難民認定されている人としては、昨年74人、一昨年は47人でした。一昨年に比べれば74という数字は伸びています。

ただ、難民申請を出してから結果が出るまでに4年以上かかることがほとんどで、この数字が統計としてどこまで参考となるものなのかというのが疑問視する声もあります。

さらに…実は昨年、結果を受け取っている方が13,000人ほどいるんです。その中の74人なので、世界全体と比べると難民認定率がとても低いのが日本の現状ですね。

これが何を物語っているかというと、たとえば
アフガンで家を壊された兄弟が、日本・ドイツ・カナダに逃れたとします。ドイツ・カナダに逃れた2人はスムーズに難民認定され、その国での生活基盤を順調に整えていくことができます。
しかし日本に逃れた1人だけが、認定がおりるまでに4~5年かかったりする…その間、就労できないことをはじめ、さまざまな問題がその本人に襲い掛かります。

彼らの状況は全く同じなのに、難民条約に照らして認定をしているはずなのに、これはおかしいですよね。
難民条約を批准するのであれば、難民性のある人をきちんと認定しなければならないと思います。

ですがこの問題の一方で、命の危機に瀕しているわけではないが難民申請をする人がいるのも事実です。
もともと技能実習生だったけど労働環境が悪くて職場を出たり、なんらかの理由でビザが切れた人が、ブローカーに騙されたり知識がなかったりして悪気なく難民申請をしてしまう場合もあります。

でもそのことを考慮しても、本当に難民認定を受けるべき人が認定されていない。

このあたりは0か100かでは語れないので、共通認識をつくるべくオープンに話していきたいです。
どんな制度にも、正しく使う人も私利私欲のために悪用する人もいますから。

 
__「難民」と聞いてイメージするものも人によってかなり違うのではないかと感じます。

渡部:そうですね。難民キャンプやボートピープルを思い浮かべる方は多いかもしれません。そういう人は「実はガザから逃れてきて…」とスーツを着ている人に言われてもポカンとしてしまうことでしょう。

実際、見た目では区別がつかないんですよね。

でも、渋谷に行けばその日に外国人と思しき方と何人かすれ違うと思うのですが、その青年が留学生なのか観光客なのかわからない。

そして、まさかその人が「今日家族をどう生かそうか」と考えている人か、なんて想像つかないですよね。

日本人が思い浮かべる「難民」はこんな感じ。だが実は…

彼らも孤立感を覚えていますが、支援する側もどう手を差し伸べていいかまだわからない部分が多いかなと感じています。WELgeeから20人の方が就職しましたが、「あ、すでに同僚なんだ」と難民としてきた方が身近な存在になることで、イメージが変わっていくかなと思っています。

 
__日本は避難先として選ばれやすい国ですか?

渡部:逃れる先に最初から「日本」を定めていた人はほとんどいないです。

たとえばコンゴやカメルーンの方でしたら、フランス語圏に一通り申請をし、それがダメだったら英語圏に出し、それでもビザが出なかったり、出たとしても半年後では命の安全的に間に合わない。そんな時に一か八かで日本大使館に行ったり、ブローカーがたまたま日本のビザを取ってきた。こんな感じの状況だと思います。

現状が難民状態にある方からすると、地理的にも文化的にも遠い場合が多いので、命を繋ぐために選ばざるをえなかったという理由が一番多いと思いますね。

一刻も早く逃げなければいけないという際に取得するビザは「短期滞在」になるんですね。そのビザが取得できるか否かを決めるのは、国同士の外交関係です。

日本人はビザ無しで滞在できる国が192にものぼるのですが、私のアフガンの友人はビザ無しで渡航できるのは12しかないと言っていました。

ここに生まれた時点での不平等がありますよね。ナショナリティによって、命の危機に瀕したときに行ける場所の数が桁違いなんです。なので、望んだ場所に行けるわけではないんですよね。

中には「宮本武蔵が好きで」とか「戦後の焼け野原から軍事力ではなく経済力で復興した国だから!」という理由で積極的に日本を選んでくださった方もいますけどね。

 
__行き来のしやすさは外交関係によるということでしたが、もう少し具体的にお聞きできますか。

渡部:トルコを例に挙げてお話します。

まず、日本とトルコは友好的な関係にあるのでビザ無しで往来可能です。
その中で、国家をもたない最大の民族といわれるクルド人がトルコから日本に来ているんですね。

ビザなし渡航が可能で入国はできるので、これまで2,000~3,000人というクルド人がやってきているといわれています。中には、祖国での迫害等から逃れて難民申請をしている家族などもいます。しかし、昨年までは誰一人として難民認定されていなかったわけです。

なぜ今まで認定されてこなかったのかというと、クルド人を難民として認定してしまうとトルコという国家が人権侵害を行っていることを日本が認めたことになってしまうという政治的な配慮もあると、弁護士や研究者からも指摘されています。

 
__なるほど。外交関係を優先すると、難民認定しづらいんですね。では、いざ難民認定を目指して入国したあとの苦労や困難とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

渡部:数多の困難があると思いますが、「祖国に残してきた苦労、心配、困難」と「言葉もわからない、社会的ステータスもない日本で生きていかなければならない」という問題の板挟みになってしまいます。

「これからどうしよう…」という問題は、成田空港に着いたその日から始まります。
手元にある10万円程度はかき集めてきたけど、日本の物価がわからない中で1泊1万円のホテルに泊まってしまったら10日で底を尽きてしまいます。モスクや教会に行く人もいるし、渋谷のマクドナルドで過ごしている人もいる。

このような経済的な困難はつきものです。

次に、社会的な困難ですね。

言葉がわからない、文化がわからない、電車で椅子に座ったら黒人だからという理由で隣の人に立たれる。

このように毎日「ウェルカムされていない感」を味わいながら過ごしています。

最後に、法的な困難です。

30日などの短期滞在ビザでどうにか危険を逃れて日本に来た人も、品川をはじめとした入管で難民申請をした後は「特定活動」という在留資格になります。

難民申請まではそこまでは弁護士さんや支援団体に教えてもらってどうにか到達する場合が多いですが、中には手持ちの在留資格期間が切れてからの申請になる人や、難民認定の結果が不認定となり、帰ってくださいと言われる人もいます。
「仮放免」という立場になったり、収容されてしまうこともありますよね。
「特別活動」の在留資格になったとて、平均4年以上も結果を待つといったらあまりにも長い。言葉もわからないし、そんな不安定なビザではなかなか自分の経験を活かして働けるところがありません。

この3つが、日本での心配事です。

一方で、残された家族も心配、自分に続いてどう避難させようか。そういった連絡を、コンビニのWi-Fiで取っていたりするので、精神的にも消耗します。

 
__想像するだけで苦しい状況ですね。

スカイツリーや東京タワー、そして品川の入管まで一望できるこのオフィスは、WELgeeを応援する企業が無償提供してくれている。

 
__支援方法も限られているイメージがありますが、WELgeeさんが提供するサービスは具体的にどのようなものなのでしょうか。

渡部:大前提として、命の危機を逃れて日本にやってきた彼らが「難民認定を待つだけ」になってしまうということが問題になっています。何年後、どうやって認定されるかもわからないし、当人が認定を得るためにできることも限られている。先に申請していた人が認定されなかった例をみたり、時には収容されたりするわけです。
20~30代で日本に来て、これからここで人生を切り開かなければならないのに、「ただ待つだけなの?」と声を上げてくれたのが、創業期から試行錯誤を共にしてきた難民の若者たちでした。

そこから、自らのスキルを活かせる企業に出会い、就業することで在留資格を書き換えていくことを目標に、難民と企業のマッチングサービスを始めました。

ジョブマッチングとしての特徴は、「かなり長い期間を伴走する」ということです。

日本に来て数ヶ月の人も、しばらくホームレスだった人もいるし、精神的な揺れ動きの期間もあります。
必死に逃げてきて、「難民申請したから今日から就活!」とはなりませんもんね。だから平均1〜2年は寄り添って就職先を見つけ、その後も定着フォローということをしています。

 
__本当に合う企業を見つけるには時間がかかるんですね。

渡部:スキルだけのヒアリングでマッチングすることは難しいんです。これは企業さんにとってもそうで、難民だから雇うというわけではなく、今後の海外展開や社内のダイバーシティを考えて外国人を入れようとしているわけです。

初めて外国人を雇用する企業さんに対してもWELgeeのキャリアコーディネーターが寄り添って、お試し期間を挟んだり、「何か困りごとがあれば相談に乗りますよ」という関係性を築くことで、挑戦しやすくなるのではないかと考えています。

日本の学生さんが3ヶ月で辞める、という話もありますよね。
キャリア・採用・人材に正解はないし、それぞれが困難を抱えている。

難民を雇ってあげようというサービスというよりもこの人を活かしたいという会社さんとのマッチングが成立すると、丁寧にコミュニケーションを取れて難民の方も職場で生き生きと働けるし、企業もその人のスキルを活かせるというWin-Winの関係になれます。

そのため、時間をかけてお互いの魅力を発掘していますね。

 
__これまでにはどんなマッチングがあったんですか?

渡部:そうですね。たとえば…

東アフリカ出身の元銀行員が、フードテックベンチャーのHRチームに就職しました。
彼はずっと工場でのアルバイトだったんですが、ビジネス領域で頑張りたいということで、新設された社会人向けMBAに推薦と奨学金で入りました。卒業後少し時間はかかったのですが、今回正社員としてジョインできました。これからが楽しみです。

グローバル展開を考えているのに、プロダクトサービスをつくっているのが全員日本人では限界がありますよね。
それでも企業さんが、多様な人材を雇用したいと言いつつ「なるべく空気が読めて、なるべく日本人ぽくて、日本語能力試験は1級で…」というようなことをおっしゃる場合もあります。
無意識のうちに考えている限界やステレオタイプを剥がしていくという意味でも、難民だけではなく雇用側にも伴走することを大切にしています。お互い出会えてよかった、という雇用が生まれると嬉しいですね。

ビザが技人国などになると、もう「難民」という扱いではなくなるんですよね。
たとえば海外出張ができるようになるというのは、本人にとっても企業にとっても良いことで、難民認定がおりるのをただ待っていたときには考えられなかったことです。

もう1事例お話しますと
2017年に就労したアフガン出身の方はエンジニアとしてIT系の企業で働いているんですが、彼は昨年のタリバン復権により家族が命の危険に晒された際、日本で稼いだお金で家族を脱出させることができました

難民をサポートすることは、その人ひとりを支援するだけではなく、その家族を支えることにもつながるのだと感じましたね。

企業さんも社内でクラウドファンディングをして出国資金を集めるなど、独自のサポートをしてくれたそうです。それは「難民だから」ということではなく、「仲間の家族が困っているから」という動きだと思います。

 
__WELgee立ち上げの直接のきっかけはどういったものだったのでしょうか。

渡部:東京で難民の人と出会ったことですね。そこに至るまでの経緯をお話しすると、

学生時代に2年間バングラデシュにいて、村人全員が国内避難民という村に住んでいました。肥沃な農地を焼かれたり、国の開発でそれまで住んでいた土地を出ざるをえなかった人たちですね。
そこで国連開発計画(UNDP)のインターンとして平和構築に関わっていたのですが、国連が10年ほど関わっていても紛争を根幹は解決されない。今も命が失われています。

村の若者たちの中にも、首都の大学に行って学んだり、奨学金を得て留学という手段で海外に出たりすることを選ぶ人たちもいました。
彼らの中には、いつか土地問題を解決するために外で法律を学ぶという人がいたりだとか、「故郷のために何かしたい」という想いを持っている人は多いんだなと思いました。

日本へ戻ってきて、これから何をやろうかなと考えていた中で、日本にいる難民の人たちに出会いました。
彼らも、祖国に戻って誰もが教育を受けられるようにしたいとか、民主主義が大切だから学生運動をやっていたとか、そういった気持ちを持っていて、行動したからこそ命を狙われて難民になったりもしているんですよね。

「反政府活動」と聞くと過激なイメージがあるかもしれませんが、

今のロシアの状況をみてもわかるように、独裁政権の中で自分の意見を言うだけで拘束されるとか、そういう状況です。

そういった状況で声を上げられる20~30代のチェンジメーカーたちが、日本でただ難民認定を待っているだけというのがあまりにもったいない、と当時24歳の同世代として感じたんです。

彼らに困っていることを聞くとごまんと出てきますが、日本で何をやりたいかとか、大学で何を勉強していたのかとか、そういうことを聞いてもたくさん出てくるんですよ。そこは同世代の感覚として通ずるし、留学生と変わらなかったですね。こういう人たちの可能性に今までの日本社会はなぜ気付いてなかったんだ、という発見でした。

 
__「難民として認定される人を増やそう」というムーブメントではなく、一緒に日本で生活するには何が必要なのかという視点ですよね。

渡部:難民を、国際水準で難民認定できるようになることが、まず国としては求められています。認定率をあるべき状態に持っていくのは当然として、ただ難民認定されたら安心というわけではないんです。

もちろん認定されたら難民パスポートを貰えたり、定住者ビザをもらえたり、仕事探しの援助が受けられたりと、良いことは間違いないです。
しかし、たとえば12年待ってやっと認定された人に日本語教室の案内が届いたりする。もうその方は日本語ペラペラなので、その方の状況と支援が噛み合っていないですよね。さきほどお話しした難民としての困難もそのまま残るし、認定というのはあくまでスタートラインなんです。

何事もそうだと思いますが、「前例がない時」がいちばん大変でした。
それでもこうやって民間企業やソーシャルベンチャーが事例をつくっておくことで、こうやって導入すればいいんだと行政に提案することができると思いますし、企業だからできることがあるということも伝えたいです。

 
__最後に、今後の展望をお伺いしてもよろしいですか?

渡部:この大きくて複雑な問題を私たちだけで解けるとは思っていないので、WELgeeの事業がもっと伸びたらいいなというよりも、共に挑戦してみたいという企業さんが増えたり、難民の若者たちの就活に伴走したいというプロボノさんが増えたり、今マンスリーサポーターとして応援してくださってる約300人のWELgeeファミリーの方々など、一緒に関わってくれる会社や人をもっと増やして連携していきたいです。それぞれの強みを活かせるように、WELgeeはカタリスト(触媒)のような役割を果たしてゆくのかなと思っています。

マンスリーサポーターという仕組みは、ひとつも事例がない時からあって、WELgeeから就職が決まったときにはオンラインでお祝い会を開いたりもしています。普段違う仕事をしていても関心のある人がこの問題にアプローチできて、同じ関心を持った人とも出会える。小さな提案ですが、資本主義の原理ではつくりえないものを提示し続けられたらと思っています。

 
__日本にいても身近な形でサポーターになれるのだということがよくわかりました。本日は貴重なお話をいただき、どうもありがとうございました。

WELgee、PR部統括を務める林 将平さん(左)と渡部 カンコロンゴ 清花さん。

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